自動運転に思う 自動運転の概念を2つに分けてはどうだろう?

自動運転のデモ走行が公開されている。
トヨタに引き続き日産でも自動運転の動画を公開した。
近未来が一足飛びにすぐそこまで近づいてきた印象なのだ。
Googleの自動運転車

究極の自動運転ってなんだ?

それはもう電車の世界だろう。
乗り込んでしまえば目的地まで行きつけて乗る人は何もしなくても良い。
その間の余った移動時間を別の事に使えるようになるのは非常に有益な事だ。
現に管理人TomTomも電車移動の際には情報収集をしてみたり本を読んでいる事が多い。

本来の自動車の目的は忘れ去られていないか?

本来自動車というのは自由な乗り物のはずだ。
管理人TomTomが若い頃から車に対して感じていた最大のメリットは電車には無い自分で行きたいところを決めて行けることにある。
自分で行きたい場所を決めて運転して行ける、これが自動車の最大のメリットだと思うのだ。
これが無くなってしまえばもう自動車とは言えなくなる。

現在目指している自動運転は電車の延長なのだ

各メーカーが盛んに実験している自動運転はこうした事から考えると電車の延長線上にある。
確かに電車を走らせようとするとインフラが莫大に必要になる。
これを自動運転の車で実現しようとするとかなり安上がりだし現在のインフラ(道路など)を利用できる。

特にこのメリットを享受できるのは地方部だろう。
それも電車網が発達していない場所では車が必需品だからだ。
だから車の代わりに自動運転車という電車を導入すると考えれば分かり易い。

現在の自動運転を2つに分けてはどうだろう?

一つは完全に自動運転を行う自動運転車と言う電車だ。
もう一つはあくまでドライバーをサポートする自動運転というかサポート機能だ。

この2つに分けて考えればおのずと必要とされる機能は絞られて分かり易くなると思う。
一番恐れるのはココで言うドライバーサポート機能で高速道路へ合流するような場合の事だ。
機械がこれは自分には手におえないとお手上げ状態になると自動運転を中止しますと突然ドライバーに運転を引渡してしまう事だ。
これが一番恐ろしい。
準備が出来ていないにもかかわらず急に振られても対応が難しいだろう。
これならまだ教習所で教官が横からブレーキを踏む方がよほどマシだろう。

となるとドライバーサポート機能については機械が操縦するのではなく視覚や音で補助するにとどめるという事で良いのではないだろうか。
それならば運転の主体は必ずドライバーにあるとハッキリする。
つまり責任はドライバーにあるということをハッキリさせるわけだ。

たぶんGoogleやAppleがやりたいのは自動運転車という電車なのだ。
そして自動車メーカーがやりたいのはドライバーサポート機能なのだ。

今回はこのへんで
では